<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom"><title>名古屋の心理・教育相談なら   カウンセリングルーム一ツ山</title><link href="https://www.hitotsuyamaco.com"></link><subtitle>名古屋市天白区の一ツ山カウンセリングルームでは、心理相談に経験豊富な臨床心理士が子育てや嫁姑などの家族関係の悩み、仕事や自分の気になる性格、癖など幅広く相談に応じています。また、公認心理師でもあるので、神経症状や精神症状で医療機関にかかっている方も主治医と連携を取って進めますので、ご安心ください。</subtitle><id>https://www.hitotsuyamaco.com</id><author><name>ゲド</name></author><updated>2026-09-22T13:49:22+00:00</updated><rights>一歩進むのも苦しいあなた、一緒に重荷を背負います。進むべき道をともに考えましょう。電話するのは、勇気がいりますが、きっと何かが変わります。あたらしい世界が開けます。お待ちしています。</rights><entry><title><![CDATA[自分の言葉を外から聞く「山彦(やまびこ)」]]></title><link rel="alternate" href="https://www.hitotsuyamaco.com/posts/59259714/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/436007/427701f2d9761101949d189d270398c2_1742525d469967665e67e76a47636bd3.jpg"></link><id>https://www.hitotsuyamaco.com/posts/59259714</id><summary><![CDATA[日々、クライエントやカウンセラー志望者との出会いの中で感じたこと、気づきをこれから言葉にしようと思う。話題も掲載の時期も気ままに、気楽にいくことが長続きのコツだと自身に言い聞かせてやっていこう。その最初の話題は、「山彦(やまびこ)」と呼ばれる傾聴技法である。「山彦」とは、クライエントの言葉や感情をそのまま、あるいはわずかに言い換えて返すオウム返しの技法である。一見すると同じ言葉の繰り返しにすぎず、発展性がないと感じられることもある。しかし、臨床経験からは、むしろ関係を支え、カウンセリングを進めるうえで重要な働きをしていると実感している。たとえば「もう疲れました」という言葉に対し、「もう疲れたんですね」と返すと、内容はほとんど変わらない。それでも、クライエントは自分の言葉を外から聞くことになり、「自分はそう言ったのだ」と一歩引いて捉える視点が生まれる。人は心の中で考えているとき、考える自分と内容が一体化している。しかし他者から言葉として返されることで、その内容は自分の外に置かれ、距離が生まれる。その距離が、「本当にそうか」「他にもあるのではないか」といった内省を可能にする。このように「山彦」は、体験そのものだった言葉を、自分について考える対象へと変える働きを持つ。そこに心理的な余白が生まれ、クライエントは自分の体験をより多面的に捉えられるようになる。つまり「山彦」とは単なる繰り返しではなく、クライエントの内的な独白を、他者との対話へと開いていく営みである。その往復のなかで、クライエントは自分の言葉を聞き直し、新たな気づきへと至っていく。この「山彦」の機能は、カウンセラーから見るとどのような意味を持つのだろう。それについては、次回に。]]></summary><author><name>ゲド</name></author><published>2026-09-22T13:49:22+00:00</published><updated>2026-09-22T14:01:17+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>日々、クライエントやカウンセラー志望者との出会いの中で感じたこと、気づきをこれから言葉にしようと思う。話題も掲載の時期も気ままに、気楽にいくことが長続きのコツだと自身に言い聞かせてやっていこう。その最初の話題は、「山彦(やまびこ)」と呼ばれる傾聴技法である。</p><p>「山彦」とは、クライエントの言葉や感情をそのまま、あるいはわずかに言い換えて返すオウム返しの技法である。一見すると同じ言葉の繰り返しにすぎず、発展性がないと感じられることもある。しかし、臨床経験からは、むしろ関係を支え、カウンセリングを進めるうえで重要な働きをしていると実感している。</p><p>たとえば「もう疲れました」という言葉に対し、「もう疲れたんですね」と返すと、内容はほとんど変わらない。それでも、クライエントは自分の言葉を外から聞くことになり、「自分はそう言ったのだ」と一歩引いて捉える視点が生まれる。</p><p>人は心の中で考えているとき、考える自分と内容が一体化している。しかし他者から言葉として返されることで、その内容は自分の外に置かれ、距離が生まれる。その距離が、「本当にそうか」「他にもあるのではないか」といった内省を可能にする。</p><p>このように「山彦」は、体験そのものだった言葉を、自分について考える対象へと変える働きを持つ。そこに心理的な余白が生まれ、クライエントは自分の体験をより多面的に捉えられるようになる。</p><p>つまり「山彦」とは単なる繰り返しではなく、クライエントの内的な独白を、他者との対話へと開いていく営みである。その往復のなかで、クライエントは自分の言葉を聞き直し、新たな気づきへと至っていく。</p><p>この「山彦」の機能は、カウンセラーから見るとどのような意味を持つのだろう。それについては、次回に。</p>
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]]></content><rights>一歩進むのも苦しいあなた、一緒に重荷を背負います。進むべき道をともに考えましょう。電話するのは、勇気がいりますが、きっと何かが変わります。あたらしい世界が開けます。お待ちしています。</rights></entry><entry><title><![CDATA[母と子のつながりは？]]></title><link rel="alternate" href="https://www.hitotsuyamaco.com/posts/11526625/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/436007/f457826705d718eb9b39a1a07ef42611_779e0588d1384177bb406c0b463be1a8.jpg"></link><id>https://www.hitotsuyamaco.com/posts/11526625</id><summary><![CDATA[　「ソロモンの指環」(K.ローレンツ著)には、生まれて間もないハイイロガンの雛は目の前を動き、鳴き声を出すものを自分の親だと思いこんでしまい、以後ついて歩くことは変わらないと述べられている。いわゆる刷り込み(imprinting)である。人間の世界でも、人生の早期に誰と絆を結ぶかが人間という存在にとって大きな意味を持つことになる。　働かなければならない母親が、祖母に生まれたばかりの我が子を預けてほとんど関わることができない‥‥そんなことが結構世の中にはある。代わりに子どもの養育を引き受けた祖母が“母”となる。母親は自分の生んだ子、血のつながりのある子と自分を納得させ、生活を支えるために働くこともあれば、仕事に生きがいを持ち、半分助かったという気分の女性もいるかもしれない。しかし、おばあちゃん“母”にどっぷりつかって育てられた子が、実の母親の元に戻るのは難しい　子どもにとって、“本とうの母”はおばあちゃん。実母は、母親であっても“母”ではない。子どもの心にピッタリくる安心感、安全感は、おばあちゃんとの関係の中にあり、実母との間には、なにがしかの距離を感じることが多い。しかし、いずれおばあちゃんは先に逝く。残された実母と子どもは、新たに“本とうの母と子”としてどう絆を結びなおすのだろうか？‥‥大きな課題が残る。]]></summary><author><name>ゲド</name></author><published>2020-11-15T12:09:23+00:00</published><updated>2020-11-15T12:09:27+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>　「ソロモンの指環」(K.ローレンツ著)には、生まれて間もないハイイロガンの雛は目の前を動き、鳴き声を出すものを自分の親だと思いこんでしまい、以後ついて歩くことは変わらないと述べられている。いわゆる刷り込み(imprinting)である。人間の世界でも、人生の早期に誰と絆を結ぶかが人間という存在にとって大きな意味を持つことになる。</p><p>　働かなければならない母親が、祖母に生まれたばかりの我が子を預けてほとんど関わることができない‥‥そんなことが結構世の中にはある。代わりに子どもの養育を引き受けた祖母が“母”となる。母親は自分の生んだ子、血のつながりのある子と自分を納得させ、生活を支えるために働くこともあれば、仕事に生きがいを持ち、半分助かったという気分の女性もいるかもしれない。しかし、おばあちゃん“母”にどっぷりつかって育てられた子が、実の母親の元に戻るのは難しい</p><p>　子どもにとって、“本とうの母”はおばあちゃん。実母は、母親であっても“母”ではない。子どもの心にピッタリくる安心感、安全感は、おばあちゃんとの関係の中にあり、実母との間には、なにがしかの距離を感じることが多い。しかし、いずれおばあちゃんは先に逝く。残された実母と子どもは、新たに“本とうの母と子”としてどう絆を結びなおすのだろうか？‥‥大きな課題が残る。</p><p><br></p>
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]]></content><rights>一歩進むのも苦しいあなた、一緒に重荷を背負います。進むべき道をともに考えましょう。電話するのは、勇気がいりますが、きっと何かが変わります。あたらしい世界が開けます。お待ちしています。</rights></entry><entry><title><![CDATA[過去は変わらないが……]]></title><link rel="alternate" href="https://www.hitotsuyamaco.com/posts/6853733/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/436007/7c1499f71020f6d77af06ece3d98051b_a4ce7ce0ec9d40be5f6e651495e5549a.jpg"></link><id>https://www.hitotsuyamaco.com/posts/6853733</id><summary><![CDATA[　人生、何十年も生きてくれば、人に話せない失敗や悔恨はあるものです。「そんな過去は見ない、忘れるようにしてきた。」と。でも、ひょっとしたことで、思い出したくもない記憶が蘇えってきます。慌てて打ち消したり顔を背けたり。そして、時が解決してくれる…と。それで済めばいいのですが、中には、いつまでも古傷のように鈍痛がおそってきます。
　　そんな時、全く利害関係のない第三者に失敗した時、お手上げになってあきらめた時に感じた悔しさ、悲しさ、苛立ちなどの苦い思いを受け止めてもらいます。すると、過去の見るのも嫌だった出来事に距離を置いて向き合うことができます。　これは、不思議！
事実は何も変わりませんが、その事実に絡みついた苦しい感情から解き放たれます。過去の事実をそのまま“客観的”に受け入れることができます。自分の心にスッキリと収まる感じ。
私はあるカウンセラーと出会い、そんな体験をしました。そして、過去の足枷から解放され、現在を、未来を生きる自信、活力を手にすることができました。肝心なのは、めぐってきたチャンスに苦しくても向き合えるかどうか。]]></summary><author><name>ゲド</name></author><published>2019-08-30T11:06:03+00:00</published><updated>2019-11-01T12:06:59+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>　人生、何十年も生きてくれば、人に話せない失敗や悔恨はあるものです。「そんな過去は見ない、忘れるようにしてきた。」と。でも、ひょっとしたことで、思い出したくもない記憶が蘇えってきます。慌てて打ち消したり顔を背けたり。そして、時が解決してくれる…と。それで済めばいいのですが、中には、いつまでも古傷のように鈍痛がおそってきます。
　</p><p>　そんな時、全く利害関係のない第三者に失敗した時、お手上げになってあきらめた時に感じた悔しさ、悲しさ、苛立ちなどの苦い思いを受け止めてもらいます。すると、過去の見るのも嫌だった出来事に距離を置いて向き合うことができます。</p><p>　これは、不思議！
事実は何も変わりませんが、その事実に絡みついた苦しい感情から解き放たれます。過去の事実をそのまま“客観的”に受け入れることができます。自分の心にスッキリと収まる感じ。
私はあるカウンセラーと出会い、そんな体験をしました。そして、過去の足枷から解放され、現在を、未来を生きる自信、活力を手にすることができました。肝心なのは、めぐってきたチャンスに苦しくても向き合えるかどうか。</p>
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	]]></content><rights>一歩進むのも苦しいあなた、一緒に重荷を背負います。進むべき道をともに考えましょう。電話するのは、勇気がいりますが、きっと何かが変わります。あたらしい世界が開けます。お待ちしています。</rights></entry><entry><title><![CDATA[私の子ども時代]]></title><link rel="alternate" href="https://www.hitotsuyamaco.com/posts/6333292/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/436007/7c08831a532f89d68a2a7efbabe64c19_bd6e8fee9405007b6748b03531aea982.jpg"></link><id>https://www.hitotsuyamaco.com/posts/6333292</id><summary><![CDATA[   親は我が子の成長を行動や言葉で判断し、どんなことを感じ、体験しているかには関心が薄いものです。そんな子どもの内面を想像するには、自分の中に生き生きとした子どもの心が必要です。それを取り戻すため、子ども時代の思い出を話してみましょう。例えば、私の子ども時代は、……。　　私の育った東京品川区と目黒区の境目は、近くに広大な農・林業の試験場があり、たくさんの樹木と試験栽培を目的とした畑が広がっていました。そこは絶対の立ち入り禁止区域。三つある門は、いかつい守衛さんが詰め，決まった時間にパトロールしていました。この守衛さんが，塀のすき間から侵入した僕たちを見つけると「まてー！」と追いかけてきます。大きな大人に追いかけられ、恐くて必死に逃げました。何とか逃げ帰ると，仲間と恐かったことを，ちょっと得意げに話し合いました。試験場はカブトムシ，クワガタがいて，椎の実まであり、魅力いっぱい。僕は小学校４年生でした。 　また、友達と試験場に侵入。先生も親も知りません。その日は,中心部まで入り込み、見つかるとやばいなと思っていますとそんな感が的中し、守衛のおじさんと出っくわしてしまいました。一目散に逃げましたが，その日に限って塀には向かわず，途中の防空壕跡に逃げ込んでしまいました。中は以前探険ずみで，かび臭いのを我慢すれば怖くはありません。守衛さんは，「早く出てこい！」と外から大声で怒鳴っていましたが，こちらも多人数で心強く，黙って我慢しました。すると，あきらめたのか守衛さんは，立ち去って行きました。そっと出た僕たちは，塀へ向かって突っ走しりました。　ワクワク，ガクガクの体験でした。そして、そこになにか以前とは違った感覚，感じが生まれてきました。不思議なことですが、その日のことは，誰も話しませんでした。　　 高学年になると、子どもは親にも話さない秘密を持つようになります。しかし、その秘密を持ち続けるほどの自我は強くありません。そこで、限られた数人の仲間と秘密を共有します。そして、そこに一体感が生まれ、さらに、徒党を組んで悪さをします。その体験を通して、善悪などの多くを学びます。このころの私は、そんな年ごろでした。]]></summary><author><name>ゲド</name></author><published>2019-05-29T06:11:33+00:00</published><updated>2019-11-02T10:21:00+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>&nbsp;&nbsp; 親は我が子の成長を行動や言葉で判断し、どんなことを感じ、体験しているかには関心が薄いものです。そんな子どもの内面を想像するには、自分の中に生き生きとした子どもの心が必要です。それを取り戻すため、子ども時代の思い出を話してみましょう。例えば、私の子ども時代は、……。</p><p data-placeholder="">　</p><p>　私の育った東京品川区と目黒区の境目は、近くに広大な農・林業の試験場があり、たくさんの樹木と試験栽培を目的とした畑が広がっていました。そこは絶対の立ち入り禁止区域。三つある門は、いかつい守衛さんが詰め，決まった時間にパトロールしていました。この守衛さんが，塀のすき間から侵入した僕たちを見つけると「まてー！」と追いかけてきます。大きな大人に追いかけられ、恐くて必死に逃げました。何とか逃げ帰ると，仲間と恐かったことを，ちょっと得意げに話し合いました。試験場はカブトムシ，クワガタがいて，椎の実まであり、魅力いっぱい。僕は小学校４年生でした。&nbsp;</p><p>　また、友達と試験場に侵入。先生も親も知りません。その日は,中心部まで入り込み、見つかるとやばいなと思っていますとそんな感が的中し、守衛のおじさんと出っくわしてしまいました。一目散に逃げましたが，その日に限って塀には向かわず，途中の防空壕跡に逃げ込んでしまいました。中は以前探険ずみで，かび臭いのを我慢すれば怖くはありません。守衛さんは，「早く出てこい！」と外から大声で怒鳴っていましたが，こちらも多人数で心強く，黙って我慢しました。すると，あきらめたのか守衛さんは，立ち去って行きました。そっと出た僕たちは，塀へ向かって突っ走しりました。</p><p>　ワクワク，ガクガクの体験でした。そして、そこになにか以前とは違った感覚，感じが生まれてきました。不思議なことですが、その日のことは，誰も話しませんでした。</p><p>　</p><p>　 高学年になると、子どもは親にも話さない秘密を持つようになります。しかし、その秘密を持ち続けるほどの自我は強くありません。そこで、限られた数人の仲間と秘密を共有します。そして、そこに一体感が生まれ、さらに、徒党を組んで悪さをします。その体験を通して、善悪などの多くを学びます。このころの私は、そんな年ごろでした。</p>
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	]]></content><rights>一歩進むのも苦しいあなた、一緒に重荷を背負います。進むべき道をともに考えましょう。電話するのは、勇気がいりますが、きっと何かが変わります。あたらしい世界が開けます。お待ちしています。</rights></entry><entry><title><![CDATA[問われる共感]]></title><link rel="alternate" href="https://www.hitotsuyamaco.com/posts/6332646/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/436007/85a9ce77717d3d449ce84e1d4487a78d_64d45a9415f3a02faf98e1c97c6bc658.jpg"></link><id>https://www.hitotsuyamaco.com/posts/6332646</id><summary><![CDATA[　先日、ネットで見たコラム。倦怠期の夫婦がうまくやっていくために、夫は妻との脳機能の違いを理解します。そして、会話術の”オウム返し”を使って、受容的に「共感」をもって「聞いているふり」をすれば、日々の関係をストレスなく過ごせると言います。
　　妻が“オウム返し”に満足するのは、夫に日々の生活レベルでのストレス解消を求めているからでしょうか。「聞いているふり」と分かっていながらも、それで納得できるレベルだからでしょうか。その意味で、倦怠期の夫婦に“オウム返し”の「共感」は賢明な選択かもしれません。 　しかし、もっと深い課題を抱えた人への「共感」は、”ふり”ではすまされません。「共感」とは、相手の言葉に耳を傾け、その心情（喜び、悲しみ、怒りetc.）を感じることで心が共鳴することだと私は考えます。客観的な事実や事情を理解するとともに、相手が発する感情の音波を捉えるアンテナを精一杯張り巡らし、その気持ちをしっかり想像できたとき、相手の発する心の音波を捉えることができます。そして、音叉(おんさ)が共鳴するように自らの心も震え始め、相手の音波と重なり合います。そこに、化学反応が起き、ドラマが生まれる。 　共鳴が起こるには、何よりも振動している音叉と同じ振動数であることが条件です。従ってカウンセラーは、自らの心の振動数を相談者にきっちり合わせることが、問われます。 ]]></summary><author><name>ゲド</name></author><published>2019-05-29T04:08:17+00:00</published><updated>2019-11-02T10:21:21+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>　先日、ネットで見たコラム。倦怠期の夫婦がうまくやっていくために、夫は妻との脳機能の違いを理解します。そして、会話術の”オウム返し”を使って、受容的に<b>「共感」</b>をもって「聞いているふり」をすれば、日々の関係をストレスなく過ごせると言います。
　</p><p>　妻が“オウム返し”に満足するのは、夫に日々の生活レベルでのストレス解消を求めているからでしょうか。「聞いているふり」と分かっていながらも、それで納得できるレベルだからでしょうか。その意味で、倦怠期の夫婦に“オウム返し”の<b>「共感」</b>は賢明な選択かもしれません。&nbsp;</p><p>　しかし、もっと深い課題を抱えた人への<b>「共感」</b>は、”ふり”ではすまされません。<b>「共感」</b>とは、相手の言葉に耳を傾け、その心情（喜び、悲しみ、怒りetc.）を感じることで心が<b><u>共鳴</u></b>することだと私は考えます。客観的な事実や事情を理解するとともに、相手が発する感情の音波を捉えるアンテナを精一杯張り巡らし、その気持ちをしっかり想像できたとき、相手の発する心の音波を捉えることができます。そして、音叉(おんさ)が<b><u>共鳴</u></b>するように自らの心も震え始め、相手の音波と重なり合います。そこに、化学反応が起き、ドラマが生まれる。&nbsp;</p><p>　<b><u>共鳴</u></b>が起こるには、何よりも振動している音叉と同じ振動数であることが条件です。従ってカウンセラーは、自らの心の振動数を相談者にきっちり合わせることが、問われます。&nbsp;</p>
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	]]></content><rights>一歩進むのも苦しいあなた、一緒に重荷を背負います。進むべき道をともに考えましょう。電話するのは、勇気がいりますが、きっと何かが変わります。あたらしい世界が開けます。お待ちしています。</rights></entry><entry><title><![CDATA[抱えるとは]]></title><link rel="alternate" href="https://www.hitotsuyamaco.com/posts/6152444/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/436007/0c00e6dbb448c2434e90e1d1ee1eafa7_257c86f359d2ad12a50c42ada0718711.jpg"></link><id>https://www.hitotsuyamaco.com/posts/6152444</id><summary><![CDATA[　先日、世界最小２６８ｇで誕生した赤ちゃんが無事、退院する明るいニュースが報じられました。お母さんが必死の思いで胎内に抱えてきた思いが語られ、心温まる思いでした。母は、まだ見ぬ我が子を１０か月胎内に抱えます。超音波で顔形、性別まで分かる時代ですが、どんな泣き声かミルクはしっかり飲むかなどその実像は分かりません。その未だ対面できない我が子を慈しみの眼差しで“抱える”。 　　　誕生すると、授乳に、夜泣きに、あやすためにと母は、わが子を抱えます。一方、乳児も生きていくために母に全面的に頼らなければなりません。それは、母に抱えられて世話をしてもらうこと。多くの母が言葉にならない我が子の要求に次々と応えながら、無我夢中で関わります。時に細々とした世話に疲れを感じても、あどけない姿、微笑みにあうと疲れが吹っ飛び、嬉しくなります。そして、日々の成長に驚き、心配し目を細めながら見守っていく。これは、目に見える我が子を“抱える“ことで、確かな実感を持つことができます。　 しかし、これで、“抱える”ことは終わったのでしょうか。我が子に思春期が到来するころ、親は自分自身が通り過ぎた自立のための試練である不安やいらだち、甘えを思い出せません。そんな親たちが、実感をもって我が子の心情を理解することは難しい。人間、目に見えぬ、分からぬものを抱えることは落ち着かないものです。我が子はどうなるだろうと不安になり、投げ出したくなるときも出てきます。　 不登校になった子の多くの親が、子どもの気持ちが分からないと嘆いたり甘えだと突き放したりして心の安定を図ろうとするのは、そんなことかもしれません。しかし、不登校の子どもの頼りは、親だけです。中でも、母に精神的に抱えられることを心底望んでいます。だから、母にしがみつこうとします。この背景に父の影の薄いことが指摘されていますが…。　 病気やけがなどの身体的なものを抱えるのも大変ですが、目に見えない精神的なものを抱えていくのは、さらに辛いことです。この抱えられない苦しみ、悲しみという心の真実をカウンセラーと共有すると、母は安心、安定を取り戻します。そして、わが子と向き合い、わが心に“抱える”一歩を踏み出すことができるのです。 ]]></summary><author><name>ゲド</name></author><published>2019-04-30T02:21:52+00:00</published><updated>2019-11-01T12:32:28+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>　先日、世界最小２６８ｇで誕生した赤ちゃんが無事、退院する明るいニュースが報じられました。お母さんが必死の思いで胎内に抱えてきた思いが語られ、心温まる思いでした。母は、まだ見ぬ我が子を１０か月胎内に抱えます。超音波で顔形、性別まで分かる時代ですが、どんな泣き声かミルクはしっかり飲むかなどその実像は分かりません。その未だ対面できない我が子を慈しみの眼差しで<b>“抱える</b>”。 　　</p><p>　誕生すると、授乳に、夜泣きに、あやすためにと母は、わが子を抱えます。一方、乳児も生きていくために母に全面的に頼らなければなりません。それは、母に抱えられて世話をしてもらうこと。多くの母が言葉にならない我が子の要求に次々と応えながら、無我夢中で関わります。時に細々とした世話に疲れを感じても、あどけない姿、微笑みにあうと疲れが吹っ飛び、嬉しくなります。そして、日々の成長に驚き、心配し目を細めながら見守っていく。これは、目に見える我が子を<b>“抱える</b>“ことで、確かな実感を持つことができます。</p><p>　 しかし、これで、“抱える”ことは終わったのでしょうか。我が子に思春期が到来するころ、親は自分自身が通り過ぎた自立のための試練である不安やいらだち、甘えを思い出せません。そんな親たちが、実感をもって我が子の心情を理解することは難しい。人間、目に見えぬ、分からぬものを抱えることは落ち着かないものです。我が子はどうなるだろうと不安になり、投げ出したくなるときも出てきます。</p><p>　 不登校になった子の多くの親が、子どもの気持ちが分からないと嘆いたり甘えだと突き放したりして心の安定を図ろうとするのは、そんなことかもしれません。しかし、不登校の子どもの頼りは、親だけです。中でも、母に精神的に抱えられることを心底望んでいます。だから、母にしがみつこうとします。この背景に父の影の薄いことが指摘されていますが…。</p><p>　 病気やけがなどの身体的なものを抱えるのも大変ですが、目に見えない精神的なものを抱えていくのは、さらに辛いことです。この抱えられない苦しみ、悲しみという心の真実をカウンセラーと共有すると、母は安心、安定を取り戻します。そして、わが子と向き合い、わが心に<b>“抱える”</b>一歩を踏み出すことができるのです。&nbsp;</p>
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	]]></content><rights>一歩進むのも苦しいあなた、一緒に重荷を背負います。進むべき道をともに考えましょう。電話するのは、勇気がいりますが、きっと何かが変わります。あたらしい世界が開けます。お待ちしています。</rights></entry><entry><title><![CDATA[３人は難しい！]]></title><link rel="alternate" href="https://www.hitotsuyamaco.com/posts/5771555/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/436007/30864dfc9c04e83c25b1e22aaeb61656_9cf45bd979538c8ab523e5c8712ee752.jpg"></link><id>https://www.hitotsuyamaco.com/posts/5771555</id><summary><![CDATA[　ある女の子(小学校低学年)の疑問。「私は友だちが２人います。どちらとも仲よくしたいです。どうすればいいですか？」と。もう少し詳しく聞いてみると、それぞれとは仲よくやれても、３人一緒になるとどうもうまくいかないと言います。　３人の関係は、大人の世界ばかりでなく、女の子同士でも難しいものです。３という奇数は、２人(ペア)と１人に分かれてしまいがち。いつも余り１が出てしまいます。そこには、好きな人を独り占めしたい気もちが強くなり、取り合いとなって３人の関係が崩れてしまいがちです。後には取り残された子の悲しさや寂しさが残ります。 　そこで、私の回答は次のように。「３人でも、うまくやっていく方法はあります。それは、３人のうちの誰でもいいから、相手の２人を同じように大切にすることです。大切にするとは、相手の話をしっかり聴き、その気持ちを知り、さらに自分の考えや気持ちも伝える中で、仲よくなっていくことです。大切にする気持ちは、相手の心に届き、それが互いに相手を大切にすることにつながります。」と。　 しかし、これを成し遂げるには、２人の関係がしっかりしていることが前提となります。特に、親と子の関係。自分の気持ちや思いをしっかり親に受け止めてもらった子は、安心感を体験できます。そして、相手の気持ちや感情に目を向けることができます。また、少々の孤独に耐えられます。この２人の親子関係がしっかりできている子は、３人の関係を上手にやっていきます。そして、それが社会での人間関係の基礎となるのです。まさに、３人の関係は、社会関係の始まりだと実感します。 ]]></summary><author><name>ゲド</name></author><published>2019-02-24T02:12:28+00:00</published><updated>2019-11-02T10:22:40+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>　ある女の子(小学校低学年)の疑問。「私は友だちが２人います。どちらとも仲よくしたいです。どうすればいいですか？」と。もう少し詳しく聞いてみると、それぞれとは仲よくやれても、３人一緒になるとどうもうまくいかないと言います。</p><p>　３人の関係は、大人の世界ばかりでなく、女の子同士でも難しいものです。３という奇数は、２人(ペア)と１人に分かれてしまいがち。いつも余り１が出てしまいます。そこには、好きな人を独り占めしたい気もちが強くなり、取り合いとなって３人の関係が崩れてしまいがちです。後には取り残された子の悲しさや寂しさが残ります。&nbsp;</p><p>　そこで、私の回答は次のように。「３人でも、うまくやっていく方法はあります。それは、３人のうちの誰でもいいから、相手の２人を同じように大切にすることです。大切にするとは、相手の話をしっかり聴き、その気持ちを知り、さらに自分の考えや気持ちも伝える中で、仲よくなっていくことです。大切にする気持ちは、相手の心に届き、それが互いに相手を大切にすることにつながります。」と。</p><p>　 しかし、これを成し遂げるには、２人の関係がしっかりしていることが前提となります。特に、親と子の関係。自分の気持ちや思いをしっかり親に受け止めてもらった子は、安心感を体験できます。そして、相手の気持ちや感情に目を向けることができます。また、少々の孤独に耐えられます。この２人の親子関係がしっかりできている子は、３人の関係を上手にやっていきます。そして、それが社会での人間関係の基礎となるのです。まさに、３人の関係は、社会関係の始まりだと実感します。&nbsp;</p>
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	]]></content><rights>一歩進むのも苦しいあなた、一緒に重荷を背負います。進むべき道をともに考えましょう。電話するのは、勇気がいりますが、きっと何かが変わります。あたらしい世界が開けます。お待ちしています。</rights></entry><entry><title><![CDATA[我が子から｢よるな!｣,｢ほっといて!｣と言われたら]]></title><link rel="alternate" href="https://www.hitotsuyamaco.com/posts/5669873/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/436007/ea3a7b67a40cf06b4d9a829955a488ae_d7b9551143c7eae1540a106ad6a29514.jpg"></link><id>https://www.hitotsuyamaco.com/posts/5669873</id><summary><![CDATA[    小学校も高学年になると、注意をしても素直に聞こうとしないものです。煙たがり、見ただけでもいやな目つきをします。中には、「見るな」、「よるな」、「ほっといて！」と言われてしまいます。「あの小さかったころの素直さはどこに行ったの?」と言いたくもなります。でも、別の場面では、「何とかして！」と助けを求めたり甘えてきたりと混乱した様子も見られます。この大きな変化に戸惑い、多くの親はどうすべきかと悩みます。
 　    親の権威を振りかざし、力で押さえつけるのは簡単ですが、それでは子どもの中に芽生えた精神的自立の芽を摘んでしまいます。そこで、「今はさなぎの状態になって一人前の蝶になる準備をしています。ここは、じっとその羽化の時期を待ちましょう。」とよく言われます。それでも、私の子育てでは、余裕を持って待つことは辛いことでした。そこで、同じような悩みを持たれる親御さんには、ある研修会で聞いたお話をしています。 それは、 ［生活年齢－１０才＝自立のための精神年齢］で余裕を持ってというもの。
 　    ６年生は１２歳になりますから、１２－１０＝２で２才です。さあ、２才の子どもの姿を思い出してください。何でも自分でやると駄々をこね、それでいて親の姿が見えないと不安になったあのころを。そして、危なっかしい子どもの姿を微笑みながら見ていたあのころを。身辺の自立を果たすあのころと精神的な自立を目指す今は、なぜか不思議に似通っていることに気付かされます。それでも親として言うべきことは、きちんと言わなければなりません。そして、余裕を持って子どもの姿を見ることがこじらせず、子どもの精神的自立を促すことにつながると思います。 ]]></summary><author><name>ゲド</name></author><published>2019-02-04T14:20:52+00:00</published><updated>2019-11-02T10:34:23+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>&nbsp; &nbsp; 小学校も高学年になると、注意をしても素直に聞こうとしないものです。煙たがり、見ただけでもいやな目つきをします。中には、「見るな」、「よるな」、「ほっといて！」と言われてしまいます。「あの小さかったころの素直さはどこに行ったの?」と言いたくもなります。でも、別の場面では、「何とかして！」と助けを求めたり甘えてきたりと混乱した様子も見られます。この大きな変化に戸惑い、多くの親はどうすべきかと悩みます。
 　</p><p>&nbsp; &nbsp; 親の権威を振りかざし、力で押さえつけるのは簡単ですが、それでは子どもの中に芽生えた精神的自立の芽を摘んでしまいます。そこで、「今はさなぎの状態になって一人前の蝶になる準備をしています。ここは、じっとその羽化の時期を待ちましょう。」とよく言われます。それでも、私の子育てでは、余裕を持って待つことは辛いことでした。そこで、同じような悩みを持たれる親御さんには、ある研修会で聞いたお話をしています。 それは、&nbsp;</p><h3>［生活年齢－１０才＝自立のための精神年齢］で余裕を持って</h3><h4>というもの。
 　</h4><p>&nbsp; &nbsp; ６年生は１２歳になりますから、１２－１０＝２で２才です。さあ、２才の子どもの姿を思い出してください。何でも自分でやると駄々をこね、それでいて親の姿が見えないと不安になったあのころを。そして、危なっかしい子どもの姿を微笑みながら見ていたあのころを。身辺の自立を果たすあのころと精神的な自立を目指す今は、なぜか不思議に似通っていることに気付かされます。それでも親として言うべきことは、きちんと言わなければなりません。そして、余裕を持って子どもの姿を見ることがこじらせず、子どもの精神的自立を促すことにつながると思います。&nbsp;</p>
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	]]></content><rights>一歩進むのも苦しいあなた、一緒に重荷を背負います。進むべき道をともに考えましょう。電話するのは、勇気がいりますが、きっと何かが変わります。あたらしい世界が開けます。お待ちしています。</rights></entry><entry><title><![CDATA[外国人の子弟と日本の学校]]></title><link rel="alternate" href="https://www.hitotsuyamaco.com/posts/5543586/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/436007/556af3f3673a1fa67ea753e9bbd2471b_c2917c8397e6e06aae676e9255f794d1.jpg"></link><id>https://www.hitotsuyamaco.com/posts/5543586</id><summary><![CDATA[　外国で教育を受けた帰国子女が日本の学校に適応するには、それなりの辛さを伴います。一方、外国人の子弟が来日し、日本の学校に入ると、さらに大きな困難を伴うと思われます。特に、生活習慣や価値観の違いが顕著なイスラム圏の子には、苦しい場面が予想されます。 　日常の生活用語は、学校生活や友達と遊ぶ中で習得していきます。しかし、ラマダンのような宗教行事では、みんなが給食を食べている時間に一人食べないでイライラして歩きまわる姿が見られます。そんな時は、外へ連れ出し一緒に時間をやり過ごすしかありません。また、豚のエキスの入った食べ物は口にしません。このことを話し合うと、「豚はゴミ！ごみを食べるのか？」と。さらに、以前になるが、９・１１の記憶が癒えないころ、ある子どもは旅客機が貿易センタービルに突っ込んだ絵を描き、喝采し、「ビンラディンは英雄だ！」と言い放ちました。　 一方、エジプトから来た子は、三つのピラミッドの絵を描き、「クフ王、カフラー王、メンカウラ―王がつくった世界の宝だ。」と嬉しそうに語ります。我々が日本の国に持っている愛着や自負に似た感情を、このエジプトの少年がしっかり持っています。しかし、こういう子が日本の学校に適応するのは中々上手くいきません。大きな体で、自分の国では当たり前の気さくな触れ合いで友達の首に手を回し、引き寄せます。しかし、小柄な日本人の子は嫌がっても逆らえません。いつしか周りの子は敬遠し始めます。本人も孤立を感じ、表情が曇ります。それでも、なんとか日本人の感覚に慣れて相手に合わせて振るまおうとしますが、それまでが苦しい。私もこの強烈な子どもたちとどう付き合おうかと考えました。 　それでも、ふと繫がった感じのもてるときがあります。砂場で大きな山を一緒につくりました。両方から山にトンネルを掘り進めます。やがて、真ん中あたりで指と指がぶつかり指先の握手をしました。本当にうれしそうで、トンネルが繋がり、同時に心もどこかで繫がった感じがしました。やっとこれからと思った矢先、その子は父親の厳しい経済状況もあり他所へ転校していきました。その時、教育だけでなく外国の子とその家族を含む生活環境、経済状況を整えて外国の人を受け入れていくという別の課題があることを痛感しました。 ]]></summary><author><name>ゲド</name></author><published>2019-01-10T10:16:59+00:00</published><updated>2019-11-02T10:50:14+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>　外国で教育を受けた帰国子女が日本の学校に適応するには、それなりの辛さを伴います。一方、外国人の子弟が来日し、日本の学校に入ると、さらに大きな困難を伴うと思われます。特に、生活習慣や価値観の違いが顕著なイスラム圏の子には、苦しい場面が予想されます。&nbsp;</p><p>　日常の生活用語は、学校生活や友達と遊ぶ中で習得していきます。しかし、ラマダンのような宗教行事では、みんなが給食を食べている時間に一人食べないでイライラして歩きまわる姿が見られます。そんな時は、外へ連れ出し一緒に時間をやり過ごすしかありません。また、豚のエキスの入った食べ物は口にしません。このことを話し合うと、「豚はゴミ！ごみを食べるのか？」と。さらに、以前になるが、９・１１の記憶が癒えないころ、ある子どもは旅客機が貿易センタービルに突っ込んだ絵を描き、喝采し、「ビンラディンは英雄だ！」と言い放ちました。</p><p>　 一方、エジプトから来た子は、三つのピラミッドの絵を描き、「クフ王、カフラー王、メンカウラ―王がつくった世界の宝だ。」と嬉しそうに語ります。我々が日本の国に持っている愛着や自負に似た感情を、このエジプトの少年がしっかり持っています。しかし、こういう子が日本の学校に適応するのは中々上手くいきません。大きな体で、自分の国では当たり前の気さくな触れ合いで友達の首に手を回し、引き寄せます。しかし、小柄な日本人の子は嫌がっても逆らえません。いつしか周りの子は敬遠し始めます。本人も孤立を感じ、表情が曇ります。それでも、なんとか日本人の感覚に慣れて相手に合わせて振るまおうとしますが、それまでが苦しい。私もこの強烈な子どもたちとどう付き合おうかと考えました。&nbsp;</p><p>　それでも、ふと繫がった感じのもてるときがあります。砂場で大きな山を一緒につくりました。両方から山にトンネルを掘り進めます。やがて、真ん中あたりで指と指がぶつかり指先の握手をしました。本当にうれしそうで、トンネルが繋がり、同時に心もどこかで繫がった感じがしました。やっとこれからと思った矢先、その子は父親の厳しい経済状況もあり他所へ転校していきました。その時、教育だけでなく外国の子とその家族を含む生活環境、経済状況を整えて外国の人を受け入れていくという別の課題があることを痛感しました。&nbsp;</p>
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	]]></content><rights>一歩進むのも苦しいあなた、一緒に重荷を背負います。進むべき道をともに考えましょう。電話するのは、勇気がいりますが、きっと何かが変わります。あたらしい世界が開けます。お待ちしています。</rights></entry><entry><title><![CDATA[帰国子女と日本の学校]]></title><link rel="alternate" href="https://www.hitotsuyamaco.com/posts/5451916/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/436007/32a669ce7aa4096ebb85948418f2c360_db64c11098722ff5e5b9b1c7918145aa.jpg"></link><id>https://www.hitotsuyamaco.com/posts/5451916</id><summary><![CDATA[　外国で教育を受け、帰国した日本人の子弟を「帰国子女」と言います。外国語を流暢に使い、異文化の雰囲気を漂わす立ち振る舞いは、華やかさと羨望の的です。しかし、彼らが日本の学校に適応するのは、想像以上にしんどいようです。開放的で自主選択の幅の広い欧米の学校で学んだ子どもは、閉鎖的で画一的な日本の学校生活は息苦しく、大きなギャップに戸惑いがちです。　その辛さから教室に入れず、登校できなくなる帰国子女もいます。そんな時、個人的な顔見知りが声をかけると、保健室登校や別室登校を始める子がいます。しかし、教室に近づくだけで緊張感いっぱい。特に、給食への拒否感が強く、きちんと残さず食べることを美徳とする指導にはついていけません。また、親の中には子どもの不調に不安となり、滞在国の教育のよさを主張し学校に批判的になることもあります。こうなると子どもの不安感はさらに強くなり、母親から離れることができません。　こんな時、適応教育担当の私は、別室を運動場にして、相撲、鬼ごっこ、かくれんぼ、輪投げと毎日一時間、教室へ入れない子供と遊びまくります。活発な男子だと力いっぱい相撲をやり、余る力とストレスを発散させます。押し合いになると紅潮した顔で、「ウーッ！」「ヤーッ！」と唸り声を上げたり、さらに興奮すると、私の手にガブリと噛みついたりすることも。痕には、唾のついた手に歯型がくっきり残り、思わず、「痛い！」と言うとやめます。しかし、その後も噛みつきが数回続いたとき、ふとその子が給食を食べれないことを思い出し、その苦しさの一端を感じました。こんな付き合いの中で子どもの表情は落ち着き、元気を取り戻して時は過ぎていきます。また、教室は入れなくても、運動会や遠足などの行事には参加したり見学したりして、つながりをつけていく子もいます。　そして。安心感を得て元気になってきた子は、同級生の誘いに応じるようになります。別室へ顔を出す友達と笑顔で話すうちに、緊張でガチガチになりながら教室での生活に挑戦するようになります。この過程は、十人十色で子ども一人ひとりいろいろな展開を見せますが、不思議に子どもも私も時が来たのを感じると、子どもは動き出し、私は見送ります。　学年末はこの変化の大きい時で、すっかり教室に慣れた先の相撲の男子にばったり廊下で出会いました。ニコッと笑顔。「いっちょうやるか？！」と一声、闘う身構え。最後の挨拶代わりの押し合い相撲をすると、翌週、修了式とともに「さようなら！」の元気な声を残して､東京方面へ転校していきました。 ]]></summary><author><name>ゲド</name></author><published>2018-12-27T08:30:02+00:00</published><updated>2019-11-02T12:13:52+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>　外国で教育を受け、帰国した日本人の子弟を「帰国子女」と言います。外国語を流暢に使い、異文化の雰囲気を漂わす立ち振る舞いは、華やかさと羨望の的です。しかし、彼らが日本の学校に適応するのは、想像以上にしんどいようです。開放的で自主選択の幅の広い欧米の学校で学んだ子どもは、閉鎖的で画一的な日本の学校生活は息苦しく、大きなギャップに戸惑いがちです。</p><p>　その辛さから教室に入れず、登校できなくなる帰国子女もいます。そんな時、個人的な顔見知りが声をかけると、保健室登校や別室登校を始める子がいます。しかし、教室に近づくだけで緊張感いっぱい。特に、給食への拒否感が強く、きちんと残さず食べることを美徳とする指導にはついていけません。また、親の中には子どもの不調に不安となり、滞在国の教育のよさを主張し学校に批判的になることもあります。こうなると子どもの不安感はさらに強くなり、母親から離れることができません。</p><p>　こんな時、適応教育担当の私は、別室を運動場にして、相撲、鬼ごっこ、かくれんぼ、輪投げと毎日一時間、教室へ入れない子供と遊びまくります。活発な男子だと力いっぱい相撲をやり、余る力とストレスを発散させます。押し合いになると紅潮した顔で、「ウーッ！」「ヤーッ！」と唸り声を上げたり、さらに興奮すると、私の手にガブリと噛みついたりすることも。痕には、唾のついた手に歯型がくっきり残り、思わず、「痛い！」と言うとやめます。しかし、その後も噛みつきが数回続いたとき、ふとその子が給食を食べれないことを思い出し、その苦しさの一端を感じました。こんな付き合いの中で子どもの表情は落ち着き、元気を取り戻して時は過ぎていきます。また、教室は入れなくても、運動会や遠足などの行事には参加したり見学したりして、つながりをつけていく子もいます。</p><p>　そして。安心感を得て元気になってきた子は、同級生の誘いに応じるようになります。別室へ顔を出す友達と笑顔で話すうちに、緊張でガチガチになりながら教室での生活に挑戦するようになります。この過程は、十人十色で子ども一人ひとりいろいろな展開を見せますが、不思議に子どもも私も時が来たのを感じると、子どもは動き出し、私は見送ります。</p><p>　学年末はこの変化の大きい時で、すっかり教室に慣れた先の相撲の男子にばったり廊下で出会いました。ニコッと笑顔。「いっちょうやるか？！」と一声、闘う身構え。最後の挨拶代わりの押し合い相撲をすると、翌週、修了式とともに「さようなら！」の元気な声を残して､東京方面へ転校していきました。&nbsp;</p>
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	]]></content><rights>一歩進むのも苦しいあなた、一緒に重荷を背負います。進むべき道をともに考えましょう。電話するのは、勇気がいりますが、きっと何かが変わります。あたらしい世界が開けます。お待ちしています。</rights></entry><entry><title><![CDATA[嫁姑問題がもたらすものは？]]></title><link rel="alternate" href="https://www.hitotsuyamaco.com/posts/5447920/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/436007/642ed1c7016d35a4ffaed6b969ce0c89_6bdb8867b5b73bcfc61f74a3a85c6ac0.jpg"></link><id>https://www.hitotsuyamaco.com/posts/5447920</id><summary><![CDATA[   「渡鬼」という略語で通るほど、お茶の間を一世風靡した『渡る世間は鬼ばかり』。そのドラマの中で、姑役の名演技で心に残るのが赤木春恵さん。その彼女が、最近亡くなりました。歯に衣着せぬ物言いで、自分の感情をストレートにぶつけると、か弱い嫁の泉ピン子は、稼業の中華料理店を懸命に支え、岡倉家の一員として生きようとします。
　   嫁姑問題が同居の場合、況や家業を共にする時は、互いの距離が近く、自分と相手の考えや感覚の違いをそのまま認めることが難しくなりがちです。そのため離婚や別居などの破綻的な方向に動くこともしばしば見受けられます。また、姑と嫁の性格の組み合わせも、千差万別。感情的な姑に気の弱い、従順な嫁もいますが、気が強いもの同士でバトルになり、決裂することもあります。旦那は息子と夫の立場の間を右往左往しています。    このような息苦しい家庭の雰囲気を吸い、自信や安心感の持てない子どもが不適応を起こし、不登校になることがあります。嫁姑問題は、当人同士の問題ですが、家族や親類縁者にまで影響を与えます。当事者たちもそれを望んでいるわけではありませんが、かみ合わないコミュニケーションは、反目、不信を生み、それが増大するとがんじがらめになってしまいます。互いにこのままではいけないと思ってはいても、相手にかける一声が出ません。そんなまま時間は過ぎ、何年もたっていきます。
　それが子どもの不適応（不登校）の要因であることに賢い母は気づいています。そして、「自分が変われば…」とカウンセラーとの話し合いが始まります。不安でドキドキの中、姑とのぎこちない関わりが始まります。途中、萎えそうになる心、一歩を踏み出そうとして出せない不安や苦しみのやり取りが続きます。やがて、姑のほうも同じように、歩み寄りたいと思っていることに気付きます。こういう変化は、不思議なもの。家庭内の空気が動き始め、不登校だった子どもが動き始めます。一歩も入れなかった学校の敷地に入り、やがて、担任の絶妙なサポートもあって、子どもは学校復帰を果たします。その後、紆余曲折はあっても、元気に登校するようになります。また、それ以上に嫁姑の間に生まれたコミュニケーションは、互いに安心・安全感をもたらし、家族全員の表情をも一変させる力があることに驚かされます。　 ]]></summary><author><name>ゲド</name></author><published>2018-12-21T13:35:43+00:00</published><updated>2019-11-03T12:47:23+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>&nbsp;&nbsp; 「渡鬼」という略語で通るほど、お茶の間を一世風靡した『渡る世間は鬼ばかり』。そのドラマの中で、姑役の名演技で心に残るのが赤木春恵さん。その彼女が、最近亡くなりました。歯に衣着せぬ物言いで、自分の感情をストレートにぶつけると、か弱い嫁の泉ピン子は、稼業の中華料理店を懸命に支え、岡倉家の一員として生きようとします。
　</p><p>&nbsp;&nbsp; 嫁姑問題が同居の場合、況や家業を共にする時は、互いの距離が近く、自分と相手の考えや感覚の違いをそのまま認めることが難しくなりがちです。そのため離婚や別居などの破綻的な方向に動くこともしばしば見受けられます。また、姑と嫁の性格の組み合わせも、千差万別。感情的な姑に気の弱い、従順な嫁もいますが、気が強いもの同士でバトルになり、決裂することもあります。旦那は息子と夫の立場の間を右往左往しています。&nbsp;</p><p>&nbsp;&nbsp; このような息苦しい家庭の雰囲気を吸い、自信や安心感の持てない子どもが不適応を起こし、不登校になることがあります。嫁姑問題は、当人同士の問題ですが、家族や親類縁者にまで影響を与えます。当事者たちもそれを望んでいるわけではありませんが、かみ合わないコミュニケーションは、反目、不信を生み、それが増大するとがんじがらめになってしまいます。互いにこのままではいけないと思ってはいても、相手にかける一声が出ません。そんなまま時間は過ぎ、何年もたっていきます。
　それが子どもの不適応（不登校）の要因であることに賢い母は気づいています。そして、「自分が変われば…」とカウンセラーとの話し合いが始まります。不安でドキドキの中、姑とのぎこちない関わりが始まります。途中、萎えそうになる心、一歩を踏み出そうとして出せない不安や苦しみのやり取りが続きます。やがて、姑のほうも同じように、歩み寄りたいと思っていることに気付きます。こういう変化は、不思議なもの。家庭内の空気が動き始め、不登校だった子どもが動き始めます。一歩も入れなかった学校の敷地に入り、やがて、担任の絶妙なサポートもあって、子どもは学校復帰を果たします。その後、紆余曲折はあっても、元気に登校するようになります。また、それ以上に嫁姑の間に生まれたコミュニケーションは、互いに安心・安全感をもたらし、家族全員の表情をも一変させる力があることに驚かされます。　&nbsp;</p>
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	]]></content><rights>一歩進むのも苦しいあなた、一緒に重荷を背負います。進むべき道をともに考えましょう。電話するのは、勇気がいりますが、きっと何かが変わります。あたらしい世界が開けます。お待ちしています。</rights></entry><entry><title><![CDATA[不登校に思う]]></title><link rel="alternate" href="https://www.hitotsuyamaco.com/posts/5147717/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/436007/c7e33756b0ddf150e4e823524f1a859d_5313ca0fd748875f58c0b96b0094e08f.jpg"></link><id>https://www.hitotsuyamaco.com/posts/5147717</id><summary><![CDATA[    今まで、１００組を超える不登校に悩む子どもとその親に会ってきました。私が出会うのは、学校に行きにくくなり、しばらく親子で葛藤を繰り返し、傷つきをもっている場合がほとんどです。先生も親も子どもに登校を促しますが、スッキリ解決に至らず、１年、２年と遷延化する例も珍しくありません。その様相は、学校に行けないという状態を除けば、千差万別です。 　相談する中で、不登校に苦しむ子どもには、親の姿勢が大きく影響することを痛感します。正面から不登校に取り組むことは、自分の子育てに向き合うこと。さらに、そのやり方は自らが育てられた経験に色濃く規定されています。このため、保護者相談を進めていくと、自分と親(祖父母)との関係を見直す場面にしばしば出会います。親世代の抱えた問題、歪みが子の世代に表れたとしか思えないケースが多々見られます。    親から愛されなかった子どもは、その苦しい、不安な状況を無視したり反発したりして切り抜けます。しかし、親になると、愛された経験がないため我が子をどう愛したらいいのか分かりません。内面は自信がなく、恨み、悔恨、羨望など満たされなかった種々の感情を抱えています。そうした親のもと、愛されず、安心感を持てずに成長してきた子どもが、親の抱えた問題を不登校という表現で、突き付けているとも考えられます。    こうした親たちが自分の“影”の部分に向き合うことは、自身に打ち込まれた錆びついた釘を引き抜く作業に似ています。そこでは、親も一人の人間です。その釘を引き抜く痛みに耐えかねて、学校に行かないのは我がまま、甘えと子どもの問題としてすませてしまいます。また、原因を発達障害だからと正当化し、自責の念や不安から逃れようとするなど不登校への向き合い方は様々です。そんな時、｢お子さんの不登校が、お母さん(お父さん)をこの場へ連れてきたとも言えます。ここでご自分の生き方をふり返ってみては？｣と問いかけます。すると、中には｢私のことは関係ない！｣、｢私が悪いと言うの！｣と立腹し、直視しない方もみえます。そんな方とは、登校への条件整備や進学などの問題対応に終始することになります。こうなると心の問題や実際の家族関係も大きな進展を見ないのが常です。     一方、我が子のためと辛い自分の生い立ちに向き合おうとする親(特に母)の姿には感動させられます。実際、その作業をやり抜くには、勇気と忍耐が必要です。それを通して親子は関係を修復し、家庭環境を整えるだけでなく、自らの人生を深く生きる一歩を踏み出しています。そんな姿を見せてくれるたくさんの「忘れえぬ母」に会えたのは素晴らしい経験でした。]]></summary><author><name>ゲド</name></author><published>2018-11-08T07:53:40+00:00</published><updated>2019-11-03T13:10:01+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>&nbsp; &nbsp; 今まで、１００組を超える不登校に悩む子どもとその親に会ってきました。私が出会うのは、学校に行きにくくなり、しばらく親子で葛藤を繰り返し、傷つきをもっている場合がほとんどです。先生も親も子どもに登校を促しますが、スッキリ解決に至らず、１年、２年と遷延化する例も珍しくありません。その様相は、学校に行けないという状態を除けば、千差万別です。</p><p>&nbsp;　相談する中で、不登校に苦しむ子どもには、親の姿勢が大きく影響することを痛感します。正面から不登校に取り組むことは、自分の子育てに向き合うこと。さらに、そのやり方は自らが育てられた経験に色濃く規定されています。このため、保護者相談を進めていくと、自分と親(祖父母)との関係を見直す場面にしばしば出会います。親世代の抱えた問題、歪みが子の世代に表れたとしか思えないケースが多々見られます。&nbsp;</p><p>&nbsp;&nbsp; 親から愛されなかった子どもは、その苦しい、不安な状況を無視したり反発したりして切り抜けます。しかし、親になると、愛された経験がないため我が子をどう愛したらいいのか分かりません。内面は自信がなく、恨み、悔恨、羨望など満たされなかった種々の感情を抱えています。そうした親のもと、愛されず、安心感を持てずに成長してきた子どもが、親の抱えた問題を不登校という表現で、突き付けているとも考えられます。</p><p>&nbsp; &nbsp; こうした親たちが自分の“影”の部分に向き合うことは、自身に打ち込まれた錆びついた釘を引き抜く作業に似ています。そこでは、親も一人の人間です。その釘を引き抜く痛みに耐えかねて、学校に行かないのは我がまま、甘えと子どもの問題としてすませてしまいます。また、原因を発達障害だからと正当化し、自責の念や不安から逃れようとするなど不登校への向き合い方は様々です。そんな時、｢お子さんの不登校が、お母さん(お父さん)をこの場へ連れてきたとも言えます。ここでご自分の生き方をふり返ってみては？｣と問いかけます。すると、中には｢私のことは関係ない！｣、｢私が悪いと言うの！｣と立腹し、直視しない方もみえます。そんな方とは、登校への条件整備や進学などの問題対応に終始することになります。こうなると心の問題や実際の家族関係も大きな進展を見ないのが常です。&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp; 一方、我が子のためと辛い自分の生い立ちに向き合おうとする親(特に母)の姿には感動させられます。実際、その作業をやり抜くには、勇気と忍耐が必要です。それを通して親子は関係を修復し、家庭環境を整えるだけでなく、自らの人生を深く生きる一歩を踏み出しています。そんな姿を見せてくれるたくさんの「忘れえぬ母」に会えたのは素晴らしい経験でした。</p>
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	]]></content><rights>一歩進むのも苦しいあなた、一緒に重荷を背負います。進むべき道をともに考えましょう。電話するのは、勇気がいりますが、きっと何かが変わります。あたらしい世界が開けます。お待ちしています。</rights></entry><entry><title><![CDATA[母を思う（５）]]></title><link rel="alternate" href="https://www.hitotsuyamaco.com/posts/4350789/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/436007/fe5154d99e587b26493ff9c70197b5ad_fa43d979c7284666f57bd7a2a9949f0a.jpg"></link><id>https://www.hitotsuyamaco.com/posts/4350789</id><summary><![CDATA[    母の入院から４日、Drに今後の見込みについて聞くと、「施設に戻るのは難しいだろう。次の病院を……。」と。そうなると後３週間で、転院しなければならない。すぐどの病院がいいのか探さねば…。すると、２日後、Drから呼び出される。母の容態が急変し、「心不全に下血がある。いつ何があっても不思議ではない。」と言う。そんなこと、まだまだ先の先と考えていた私は驚いたが、不思議に慌てることはなかった。そして、残された時間をどう過ごさせようかと考えた。母の親戚、兄妹、縁の深い知人に連絡すると会いに来てくれた。この間１週間、ほとんどうつらうつら状態だった母が、そのときだけは不思議に意識が戻った。思えばこれが最後になった。   夜まで仕事だった翌日、今日は面会にと思っていた朝、病院から「すぐ来て！」と連絡が入る。駆けつけるが、私の着く１０分前に事切れていた。手も頬もまだ暖かく、穏やかな表情に私の心も妙に穏やかだった。ただ最後の瞬間に立ち会えず、見送れなかったことに一抹の申し訳なさは感じたが、温かさの残った母の手を握りしめじっとしていた。そして、自然と涙だけが静かに流れた。母とは、その生き方をめぐって葛藤もあったが、９３歳まで生きてくれたことそれ自体で、私を支える大地、風雨から守る屋根となってくれたという感謝の思いが湧いてくる。入院から２週間で死亡退院する母をDrと看護師が見送ってくれたが、感傷的な雰囲気に浸ることはなかった。   通夜、告別式とあわただしく済ませた。葬儀は親類、縁者、母の親しい友人のみの「家族葬｣で、香典も辞退させていただき、簡素ながら落ち着いた雰囲気だった。式の中で、母に８ヵ月まで風呂に入れてもらった曾孫が別れの言葉を送った。この言葉が終わると、棺の横に置かれた母愛用のバックが「分かったよ。ありがとう。」というようにことりと倒れた。絶妙のタイミングだった。火葬場では、母の面影とついに分かれる惜別の感を抱きながら静かな一時を過ごした。収骨では、元気に最後まで歩いていた骨盤、大腿骨は９３歳とは思えないほどしっかりしていた。   葬儀の後処理を簡単に済ませると、翌日からいつもと変わらぬ生活へ戻った。普段の生活リズムで毎日が過ぎていくが、喪失感や虚無感を感じて落ち込むことはない。ある人は、「１，２か月先に寂しさを感じるかも。」と。今思い出されるのは、保育園から小学校低学年のころの楽しかった母との触れ合いだけである。教育分析でこのことを話すと、「(私の母と)向き合うべき課題はすべて整理されている。もし、出てくるとしたら、まだ未整理の部分だろう。」と。さて、これから先、私にどんな感情が湧いてくるのだろうか。 ]]></summary><author><name>ゲド</name></author><published>2018-05-30T07:46:49+00:00</published><updated>2019-11-03T13:11:14+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>&nbsp; &nbsp; 母の入院から４日、Drに今後の見込みについて聞くと、「施設に戻るのは難しいだろう。次の病院を……。」と。そうなると後３週間で、転院しなければならない。すぐどの病院がいいのか探さねば…。すると、２日後、Drから呼び出される。母の容態が急変し、「心不全に下血がある。いつ何があっても不思議ではない。」と言う。そんなこと、まだまだ先の先と考えていた私は驚いたが、不思議に慌てることはなかった。そして、残された時間をどう過ごさせようかと考えた。母の親戚、兄妹、縁の深い知人に連絡すると会いに来てくれた。この間１週間、ほとんどうつらうつら状態だった母が、そのときだけは不思議に意識が戻った。思えばこれが最後になった。</p><p>&nbsp;&nbsp; 夜まで仕事だった翌日、今日は面会にと思っていた朝、病院から「すぐ来て！」と連絡が入る。駆けつけるが、私の着く１０分前に事切れていた。手も頬もまだ暖かく、穏やかな表情に私の心も妙に穏やかだった。ただ最後の瞬間に立ち会えず、見送れなかったことに一抹の申し訳なさは感じたが、温かさの残った母の手を握りしめじっとしていた。そして、自然と涙だけが静かに流れた。母とは、その生き方をめぐって葛藤もあったが、９３歳まで生きてくれたことそれ自体で、私を支える大地、風雨から守る屋根となってくれたという感謝の思いが湧いてくる。入院から２週間で死亡退院する母をDrと看護師が見送ってくれたが、感傷的な雰囲気に浸ることはなかった。</p><p>&nbsp;&nbsp; 通夜、告別式とあわただしく済ませた。葬儀は親類、縁者、母の親しい友人のみの「家族葬｣で、香典も辞退させていただき、簡素ながら落ち着いた雰囲気だった。式の中で、母に８ヵ月まで風呂に入れてもらった曾孫が別れの言葉を送った。この言葉が終わると、棺の横に置かれた母愛用のバックが「分かったよ。ありがとう。」というようにことりと倒れた。絶妙のタイミングだった。火葬場では、母の面影とついに分かれる惜別の感を抱きながら静かな一時を過ごした。収骨では、元気に最後まで歩いていた骨盤、大腿骨は９３歳とは思えないほどしっかりしていた。</p><p>&nbsp;&nbsp; 葬儀の後処理を簡単に済ませると、翌日からいつもと変わらぬ生活へ戻った。普段の生活リズムで毎日が過ぎていくが、喪失感や虚無感を感じて落ち込むことはない。ある人は、「１，２か月先に寂しさを感じるかも。」と。今思い出されるのは、保育園から小学校低学年のころの楽しかった母との触れ合いだけである。教育分析でこのことを話すと、「(私の母と)向き合うべき課題はすべて整理されている。もし、出てくるとしたら、まだ未整理の部分だろう。」と。さて、これから先、私にどんな感情が湧いてくるのだろうか。&nbsp;</p>
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	]]></content><rights>一歩進むのも苦しいあなた、一緒に重荷を背負います。進むべき道をともに考えましょう。電話するのは、勇気がいりますが、きっと何かが変わります。あたらしい世界が開けます。お待ちしています。</rights></entry><entry><title><![CDATA[母を思う（４）]]></title><link rel="alternate" href="https://www.hitotsuyamaco.com/posts/4350167/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/436007/20fc905b0ef54faaae9381b3abf8cf43_56f70cbf85035fe27279dac83cdef9e6.jpg"></link><id>https://www.hitotsuyamaco.com/posts/4350167</id><summary><![CDATA[   一週間前に会った母は、いつもと変わらず笑顔で迎えてくれた。同じ場所で座って話すのに、その日は、いつになく話題が次から次へと新しいことへと移っていく。いつものパターン化された話はどこに置いてきたのか？知り合いになった人の話、亡くなった夫(私の父)の話と次々に。「今日は、頭がスッキリしている？」と尋ねたほどだった。それが、一週間たつと施設から「足がむくみ、心臓に水がたまり……。」と連絡が入り、慌てて母のもとへ飛んで行った。　目の前の母は、顎の下が膨れ上がり、年取って痩せた小顔は以前の太ったときのようになっていた。話がしにくくちょっと動くだけでも息苦しい。早速病院へ向かい、病室に落ち着くまで５時間かかった。診察、検査を待っている間、母は「仕事があるのに悪いね！」と何度も何度も繰り返す。「分かった。もういい！」と言っても言い続ける。途中からは、何か話さないといられないかのように話し続ける。施設と違う病院の雰囲気に不安を感じたのか。やがて、疲れると「頭がボーッとしてる。」と。足腰はしっかりして歩いて入院となった。長時間待たされるのは私でも辛いのに、母にはもっとこたえたことだろう。    夜８時、帰る私に、「暗いから気をつけて。」と。「明日、必ず来る！」と言って、振り切るように車に乗る。くたくたになって帰宅して床に就くが、すぐ目が覚める。私の無意識の部分が眠るのを許さない。母の兄弟姉妹の見舞いに行ったときとは比べものにならない、言葉にならない何かを感じる。うとうとしながら朝を迎える。
    翌日、入院グッズをそろえて病院へ向かう。ベッドには酸素吸入器をつけ、下も全部管になり、もう自分では動けない母が横たわっていた。前日よりも幾分か太ったかのように、むくみがさらに増していた。言葉は交わすがほとんどうつらうつらしている。その日の深夜も目が覚めた。前日よりさらに無意識の底からなにか“大きなもの”が湧き上がってくる。それを言葉で表現することができない。翌日の仕事もあり仕方なく導眠剤を飲む。
    仕事場に向かう地下鉄の中で、“大きなもの”それを言葉に置き換えようとする。それは、自分という存在を支えてくれた大地か。その大地が今、消え去ろうとしている……そんなことを感じているのか、分からない。ただ、悲しい感情も湧いてこないのに、涙があふれてくる。これが、私の「母を想う」やり方なのだろう。おりしも、4月から仕事を減らし自由に動ける時間が増えた。今は、一時でも多く、母の傍にいようと思っている。 ]]></summary><author><name>ゲド</name></author><published>2018-05-13T05:57:44+00:00</published><updated>2019-11-01T11:27:25+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>&nbsp;&nbsp; 一週間前に会った母は、いつもと変わらず笑顔で迎えてくれた。同じ場所で座って話すのに、その日は、いつになく話題が次から次へと新しいことへと移っていく。いつものパターン化された話はどこに置いてきたのか？知り合いになった人の話、亡くなった夫(私の父)の話と次々に。「今日は、頭がスッキリしている？」と尋ねたほどだった。それが、一週間たつと施設から「足がむくみ、心臓に水がたまり……。」と連絡が入り、慌てて母のもとへ飛んで行った。</p><p>　目の前の母は、顎の下が膨れ上がり、年取って痩せた小顔は以前の太ったときのようになっていた。話がしにくくちょっと動くだけでも息苦しい。早速病院へ向かい、病室に落ち着くまで５時間かかった。診察、検査を待っている間、母は「仕事があるのに悪いね！」と何度も何度も繰り返す。「分かった。もういい！」と言っても言い続ける。途中からは、何か話さないといられないかのように話し続ける。施設と違う病院の雰囲気に不安を感じたのか。やがて、疲れると「頭がボーッとしてる。」と。足腰はしっかりして歩いて入院となった。長時間待たされるのは私でも辛いのに、母にはもっとこたえたことだろう。</p><p>&nbsp; &nbsp; 夜８時、帰る私に、「暗いから気をつけて。」と。「明日、必ず来る！」と言って、振り切るように車に乗る。くたくたになって帰宅して床に就くが、すぐ目が覚める。私の無意識の部分が眠るのを許さない。母の兄弟姉妹の見舞いに行ったときとは比べものにならない、言葉にならない何かを感じる。うとうとしながら朝を迎える。
</p><p>&nbsp; &nbsp; 翌日、入院グッズをそろえて病院へ向かう。ベッドには酸素吸入器をつけ、下も全部管になり、もう自分では動けない母が横たわっていた。前日よりも幾分か太ったかのように、むくみがさらに増していた。言葉は交わすがほとんどうつらうつらしている。その日の深夜も目が覚めた。前日よりさらに無意識の底からなにか“大きなもの”が湧き上がってくる。それを言葉で表現することができない。翌日の仕事もあり仕方なく導眠剤を飲む。
</p><p>&nbsp; &nbsp; 仕事場に向かう地下鉄の中で、“大きなもの”それを言葉に置き換えようとする。それは、自分という存在を支えてくれた大地か。その大地が今、消え去ろうとしている……そんなことを感じているのか、分からない。ただ、悲しい感情も湧いてこないのに、涙があふれてくる。これが、私の「母を想う」やり方なのだろう。おりしも、4月から仕事を減らし自由に動ける時間が増えた。今は、一時でも多く、母の傍にいようと思っている。&nbsp;</p>
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	]]></content><rights>一歩進むのも苦しいあなた、一緒に重荷を背負います。進むべき道をともに考えましょう。電話するのは、勇気がいりますが、きっと何かが変わります。あたらしい世界が開けます。お待ちしています。</rights></entry><entry><title><![CDATA[母を想う（３）]]></title><link rel="alternate" href="https://www.hitotsuyamaco.com/posts/3999082/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/436007/2593d37cf0c6b84837582f949436ee9f_537f605658eb6674815dda48514f3f89.jpg"></link><id>https://www.hitotsuyamaco.com/posts/3999082</id><summary><![CDATA[　母に会いに施設へ通い始めたころ、認知症に効果ありとする回想療法の本を読み、私のできる“回想”を中心とした語らいの時間を過ごすようにした。毎回、家にあったアルバムから昔の写真を用意し、子どものころから、娘時代、結婚、子育て時代の話を語ってもらった。中でも、娘時代に夢中になったダンスの話になると、目は輝き、実にうれしそうな笑顔を見せる。そして、親、兄弟姉妹の写真から、それぞれどんな人だったか、今はどうかなどを話題にして、変化の少ない施設での生活に変化、刺激を与えようとした。
しかし、それも初めの１年ぐらいで、認知機能はかなりのテンポで衰えていくのを感じた。記憶は次第に断片的になっていき、それが、その時々に別の記憶と結びついて、別の話になっていく。若くして癌で亡くなった知人が、７７歳で亡くなったはずの父と入れ替わる。すると、父と早くに死別した母は、一人で苦労して私を育てたというストーリーになる。記憶の乗り換えは頻繁に起こる。初めは、その記憶の変更をむきになって訂正した。父は、「風呂場で亡くなった。」と。しかし、訂正された母は、ボーッとしてちょっとした混乱状態になる。その姿に何度かそのまま聞こうと我慢するのだが、ついつい記憶を正そうとしてしまった。
時は流れていつしか、私の中でも肩に力を入れず気楽に１時間を過ごそうと思うように変わってきた。“誤った記憶”にもそのままつき合って談笑し、楽しい思いが母の中に残ればいいんだと。聞こえの悪い右耳と反対の左側に座り、母の話にのって合図地を打ちながら過ごす。私の中にも気楽な時間が過ぎてゆく。さらに、記憶の衰えは進み、毎日の一連の行動の様子を繰り返すだけとなり、１時間に２０回を超えるときもある。曰く、
「朝、(入所者同士で)一緒にいると、男の子(職員)がこうやって(手招きする様子)呼ぶから、１Ｆへ降りていき、あれ(運動機能維持回復用の器具)をやりながら待っている。その後、天気のいい日は施設の外を一緒に散歩する。」と。それは、毎日１回行われ、それは、私が「頼んでくれているからだと思った」
と言う話を繰り返す。時々、別の話題もよいかと親、兄弟姉妹などの話をするが、波もあり調子が悪いと父の名前さえ分からぬときも。認知機能は、穏やかなカーブを描きながら下降している。
私は、以前から息子と心理士の両方の目線で母の変化を目の当たりにしてきたが、このごろは特に息子として、母を見ることが多くなっていると感じる。すっかり白髪となり、しわ深くなった顔に手をやり髪をたくし上げてやり、冷たくなった手を温めてやる中で、母に温かい思いが残ればと思って時をともにしている。別れ際、母は寂しそうに「ありがとう！」と。「また、来る。」と言って、扉の外に私は出る。 ]]></summary><author><name>ゲド</name></author><published>2018-04-14T04:36:32+00:00</published><updated>2019-11-01T11:28:12+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>　母に会いに施設へ通い始めたころ、認知症に効果ありとする回想療法の本を読み、私のできる“回想”を中心とした語らいの時間を過ごすようにした。毎回、家にあったアルバムから昔の写真を用意し、子どものころから、娘時代、結婚、子育て時代の話を語ってもらった。中でも、娘時代に夢中になったダンスの話になると、目は輝き、実にうれしそうな笑顔を見せる。そして、親、兄弟姉妹の写真から、それぞれどんな人だったか、今はどうかなどを話題にして、変化の少ない施設での生活に変化、刺激を与えようとした。
しかし、それも初めの１年ぐらいで、認知機能はかなりのテンポで衰えていくのを感じた。記憶は次第に断片的になっていき、それが、その時々に別の記憶と結びついて、別の話になっていく。若くして癌で亡くなった知人が、７７歳で亡くなったはずの父と入れ替わる。すると、父と早くに死別した母は、一人で苦労して私を育てたというストーリーになる。記憶の乗り換えは頻繁に起こる。初めは、その記憶の変更をむきになって訂正した。父は、「風呂場で亡くなった。」と。しかし、訂正された母は、ボーッとしてちょっとした混乱状態になる。その姿に何度かそのまま聞こうと我慢するのだが、ついつい記憶を正そうとしてしまった。
時は流れていつしか、私の中でも肩に力を入れず気楽に１時間を過ごそうと思うように変わってきた。“誤った記憶”にもそのままつき合って談笑し、楽しい思いが母の中に残ればいいんだと。聞こえの悪い右耳と反対の左側に座り、母の話にのって合図地を打ちながら過ごす。私の中にも気楽な時間が過ぎてゆく。さらに、記憶の衰えは進み、毎日の一連の行動の様子を繰り返すだけとなり、１時間に２０回を超えるときもある。曰く、
「朝、(入所者同士で)一緒にいると、男の子(職員)がこうやって(手招きする様子)呼ぶから、１Ｆへ降りていき、あれ(運動機能維持回復用の器具)をやりながら待っている。その後、天気のいい日は施設の外を一緒に散歩する。」と。それは、毎日１回行われ、それは、私が「頼んでくれているからだと思った」
と言う話を繰り返す。時々、別の話題もよいかと親、兄弟姉妹などの話をするが、波もあり調子が悪いと父の名前さえ分からぬときも。認知機能は、穏やかなカーブを描きながら下降している。
私は、以前から息子と心理士の両方の目線で母の変化を目の当たりにしてきたが、このごろは特に息子として、母を見ることが多くなっていると感じる。すっかり白髪となり、しわ深くなった顔に手をやり髪をたくし上げてやり、冷たくなった手を温めてやる中で、母に温かい思いが残ればと思って時をともにしている。別れ際、母は寂しそうに「ありがとう！」と。「また、来る。」と言って、扉の外に私は出る。&nbsp;</p>
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	]]></content><rights>一歩進むのも苦しいあなた、一緒に重荷を背負います。進むべき道をともに考えましょう。電話するのは、勇気がいりますが、きっと何かが変わります。あたらしい世界が開けます。お待ちしています。</rights></entry><entry><title><![CDATA[  母を想う（２）]]></title><link rel="alternate" href="https://www.hitotsuyamaco.com/posts/3999072/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/436007/c75f58af38768c2d7d4c5f2e277cdc43_f68571a41247bf4116a4f3340be35b5b.jpg"></link><id>https://www.hitotsuyamaco.com/posts/3999072</id><summary><![CDATA[　母の介護をすべきか臨床の道を選ぶか……を決められず、悶々としていた折、心理士として受けていた教育分析（訓練のようなもの）の中で、ある夢を報告していた。
　―雑踏の中、私は大きなバケツに入った鯉を、人波をすり抜けて運んでいる。当然、行き交う人とすれ違う時、ぶつかったり、段差で上下したりして、たっぷり入れたはずの水は、少しずつバチャバチャとこぼれ、水が少なくなり、中の鯉も息苦しそうだった。手に食い込むバケツも重くて、辛くなってくる。それでも、いっそう多くの人の行き交う橋のところまでやって来た。ふと、下を見ると、大きな川にゆったりと泳いでいる黒や赤、白の鯉の姿が目に入った。のんびりと泳ぐ鯉の様子に、ふと手にしたバケツの鯉もあのようにゆったりと泳げたらという気持ちになる。不意に橋の上からバケツの水とともに鯉を川に投げ入れた。落ちた鯉は大丈夫かと思っていると、すぐにゆったりと泳ぎ始めた。―　目が覚めて、鯉は母であったのだろうと思うと不思議に納得する気持ちになった。その後、たくさんの申し訳なさもあったが、母の施設入所を進めることになった。夢が私の心を自然に決めさせていった。夢は、その時々の生命のあるべき姿の一端を示してくれるようだ。
　認知症の母の施設入所以来、毎週、洗濯物を届ける一方、一泊二日で、土日に外泊で自宅に連れ帰ることを３か月続けた。母の帰宅願望の強かったこともあったが、私の施設に入れたことへの申し訳なさがそれをさせた。
土曜日、施設へ迎えに行くと、待っていたかのように家へ帰ろうとする母。やっとここから“脱出”できるかのような様子で、職員に「さようなら！」と言い、施設を後にする。車が家に近づくと、やっと帰れたとホッとした表情を見せる。そして、一晩泊り朝食を一緒にとり、散歩に連れ出た後は、いよいよ施設へ帰ることになる。帰宅するときは喜んでいても、翌日は私を困らせたくないと遠慮していたのか、悲しい顔をしながらも施設へ戻っていく。そんなことを繰り返すうち、ある時、「ここに、私の帰るところはないんだ。」としみじみ話した。施設の職員から、毎週連れ帰るときの母の様子について尋ねられた。どうにもならないやるせなさが残ったが、同時に以前の川の中をゆったりと泳ぐ鯉の夢を思い出した。すると、私のしていることは、その川の中から鯉をバケツに入れ、持ち帰ることをしていたのだとふと思った。いずれ川へ返さなければいけない鯉を自分も無理して川から引き上げていたのだと。それ以後は、私のほうから川へ出向き、鯉に会いに行くことにした。月２回、母を施設に尋ねると、ニコッと笑顔で迎えてくれる母。１Ｆの広場で１時間、一緒に缶コーヒーを飲みながら、あれこれと話をしながら楽しいひと時を過ごす。 ]]></summary><author><name>ゲド</name></author><published>2018-04-04T04:27:58+00:00</published><updated>2019-11-01T11:28:45+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>　母の介護をすべきか臨床の道を選ぶか……を決められず、悶々としていた折、心理士として受けていた教育分析（訓練のようなもの）の中で、ある夢を報告していた。
</p><p>　―雑踏の中、私は大きなバケツに入った鯉を、人波をすり抜けて運んでいる。当然、行き交う人とすれ違う時、ぶつかったり、段差で上下したりして、たっぷり入れたはずの水は、少しずつバチャバチャとこぼれ、水が少なくなり、中の鯉も息苦しそうだった。手に食い込むバケツも重くて、辛くなってくる。それでも、いっそう多くの人の行き交う橋のところまでやって来た。ふと、下を見ると、大きな川にゆったりと泳いでいる黒や赤、白の鯉の姿が目に入った。のんびりと泳ぐ鯉の様子に、ふと手にしたバケツの鯉もあのようにゆったりと泳げたらという気持ちになる。不意に橋の上からバケツの水とともに鯉を川に投げ入れた。落ちた鯉は大丈夫かと思っていると、すぐにゆったりと泳ぎ始めた。―</p><p>　目が覚めて、鯉は母であったのだろうと思うと不思議に納得する気持ちになった。その後、たくさんの申し訳なさもあったが、母の施設入所を進めることになった。夢が私の心を自然に決めさせていった。夢は、その時々の生命のあるべき姿の一端を示してくれるようだ。
</p><p>　認知症の母の施設入所以来、毎週、洗濯物を届ける一方、一泊二日で、土日に外泊で自宅に連れ帰ることを３か月続けた。母の帰宅願望の強かったこともあったが、私の施設に入れたことへの申し訳なさがそれをさせた。
土曜日、施設へ迎えに行くと、待っていたかのように家へ帰ろうとする母。やっとここから“脱出”できるかのような様子で、職員に「さようなら！」と言い、施設を後にする。車が家に近づくと、やっと帰れたとホッとした表情を見せる。そして、一晩泊り朝食を一緒にとり、散歩に連れ出た後は、いよいよ施設へ帰ることになる。帰宅するときは喜んでいても、翌日は私を困らせたくないと遠慮していたのか、悲しい顔をしながらも施設へ戻っていく。そんなことを繰り返すうち、ある時、「ここに、私の帰るところはないんだ。」としみじみ話した。施設の職員から、毎週連れ帰るときの母の様子について尋ねられた。どうにもならないやるせなさが残ったが、同時に以前の川の中をゆったりと泳ぐ鯉の夢を思い出した。すると、私のしていることは、その川の中から鯉をバケツに入れ、持ち帰ることをしていたのだとふと思った。いずれ川へ返さなければいけない鯉を自分も無理して川から引き上げていたのだと。それ以後は、私のほうから川へ出向き、鯉に会いに行くことにした。月２回、母を施設に尋ねると、ニコッと笑顔で迎えてくれる母。１Ｆの広場で１時間、一緒に缶コーヒーを飲みながら、あれこれと話をしながら楽しいひと時を過ごす。&nbsp;</p>
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			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/436007/c75f58af38768c2d7d4c5f2e277cdc43_f68571a41247bf4116a4f3340be35b5b.jpg?width=960" width="100%">
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	]]></content><rights>一歩進むのも苦しいあなた、一緒に重荷を背負います。進むべき道をともに考えましょう。電話するのは、勇気がいりますが、きっと何かが変わります。あたらしい世界が開けます。お待ちしています。</rights></entry><entry><title><![CDATA[母を想う(１)]]></title><link rel="alternate" href="https://www.hitotsuyamaco.com/posts/3998886/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/436007/e9cea5e1509d4a7c691827bd22f926a8_b6870870df5807d69ae06825030f4208.jpg"></link><id>https://www.hitotsuyamaco.com/posts/3998886</id><summary><![CDATA[　私の母は、９３歳。現在、認知症が進み、施設でお世話になっていて、落ち着いた日々を送っている。私が月２回会いに行くと、満面の笑みをたたえて迎えてくれる。母は８８歳まで、事務所やスポーツクラブなどの清掃をして働いた。８５歳ごろから、その以前もあったが、職場に財布を忘れてきたと大騒ぎして、栄まで取りに行った。ことの仔細ははっきりしないが、勘違いだったという。詳しく尋ねても、説明は要を得ないものだった。後から思い返すと、すでにこのころから記憶がすぽっと抜け落ちる記憶障害は始まっていたのだと思う。認知症の中核症状は、記憶障害、見当識障害、実行機能障害の三つと言われる。
    　やがて、曜日によって変わる職場へたどり着けなくなることが出始める。初めは地下鉄の駅からの地図に目印を書き込み、経路を教えるが、それもしばらくすると効果がなくなった。これは何かあると日赤で脳のＣＴをとると、アルツハイマー型認知症と診断された。そして、医師の勧めもあり、デイ・サービスの利用を始めた。今までできていたことができなくなるのは、実行機能に障害が出始めたことだったのだろう。
    　そのころ新築に伴い仮住まいすることになったが、母は新しい環境になじむことができず、さらに、物盗られ妄想も出来し、感情的になり怒りが爆発することが急増した。さらに、いたるところにお金を始め、“宝物”を隠し始める。財布を落としたと言い、交番に届けると、化粧台の下に隠してあったのが見つかった。認知症の本に書いてあったことがそのまま目の前に展開する。しかし、波があって至極“正常”な時も、しばしばあった。「ボーっとしている」「分かんない！」と言い、「どうなっているの？」と。自分でもコントロールできず、それが怒りとなって家を飛び出し、深夜に警察のお世話になってのご帰宅もあった。そんな母をおいて、出かけなければならない時、デイ・サービスの泊りを嫌がる母。どう説明しても納得できない。正常な判断のできない見当識障害は明らかだった。そして、母の症状が進むにつれて次第に対応が難しくなり、疲れと不安が増してきた。　認知症の進む母を面倒見ることと、現在の心理士としての仕事を両立することは、次第に困難なように思われてきた。それなら、仕事を辞めて母の在宅介護をするか、しかし、やりたくてここまで苦労してきた臨床の道をあきらめたくないという気持ちもある。どうしようと先輩に、知人に相談して歩く日々だったが、どうにもふっきれない。施設に入れるのは、自分のやりたいことの犠牲に母をしてしまうのか。悪いという気持ちと口惜しい気持ちがいつまでもまとわりついてくる。]]></summary><author><name>ゲド</name></author><published>2018-03-24T04:19:09+00:00</published><updated>2019-11-01T11:29:29+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>　私の母は、９３歳。現在、認知症が進み、施設でお世話になっていて、落ち着いた日々を送っている。私が月２回会いに行くと、満面の笑みをたたえて迎えてくれる。母は８８歳まで、事務所やスポーツクラブなどの清掃をして働いた。８５歳ごろから、その以前もあったが、職場に財布を忘れてきたと大騒ぎして、栄まで取りに行った。ことの仔細ははっきりしないが、勘違いだったという。詳しく尋ねても、説明は要を得ないものだった。後から思い返すと、すでにこのころから記憶がすぽっと抜け落ちる記憶障害は始まっていたのだと思う。認知症の中核症状は、記憶障害、見当識障害、実行機能障害の三つと言われる。
    </p><p>　やがて、曜日によって変わる職場へたどり着けなくなることが出始める。初めは地下鉄の駅からの地図に目印を書き込み、経路を教えるが、それもしばらくすると効果がなくなった。これは何かあると日赤で脳のＣＴをとると、アルツハイマー型認知症と診断された。そして、医師の勧めもあり、デイ・サービスの利用を始めた。今までできていたことができなくなるのは、実行機能に障害が出始めたことだったのだろう。
    </p><p>　そのころ新築に伴い仮住まいすることになったが、母は新しい環境になじむことができず、さらに、物盗られ妄想も出来し、感情的になり怒りが爆発することが急増した。さらに、いたるところにお金を始め、“宝物”を隠し始める。財布を落としたと言い、交番に届けると、化粧台の下に隠してあったのが見つかった。認知症の本に書いてあったことがそのまま目の前に展開する。しかし、波があって至極“正常”な時も、しばしばあった。「ボーっとしている」「分かんない！」と言い、「どうなっているの？」と。自分でもコントロールできず、それが怒りとなって家を飛び出し、深夜に警察のお世話になってのご帰宅もあった。そんな母をおいて、出かけなければならない時、デイ・サービスの泊りを嫌がる母。どう説明しても納得できない。正常な判断のできない見当識障害は明らかだった。そして、母の症状が進むにつれて次第に対応が難しくなり、疲れと不安が増してきた。</p><p>　認知症の進む母を面倒見ることと、現在の心理士としての仕事を両立することは、次第に困難なように思われてきた。それなら、仕事を辞めて母の在宅介護をするか、しかし、やりたくてここまで苦労してきた臨床の道をあきらめたくないという気持ちもある。どうしようと先輩に、知人に相談して歩く日々だったが、どうにもふっきれない。施設に入れるのは、自分のやりたいことの犠牲に母をしてしまうのか。悪いという気持ちと口惜しい気持ちがいつまでもまとわりついてくる。</p>
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