母を想う(1)
私の母は、93歳。現在、認知症が進み、施設でお世話になっていて、落ち着いた日々を送っている。私が月2回会いに行くと、満面の笑みをたたえて迎えてくれる。母は88歳まで、事務所やスポーツクラブなどの清掃をして働いた。85歳ごろから、その以前もあったが、職場に財布を忘れてきたと大騒ぎして、栄まで取りに行った。ことの仔細ははっきりしないが、勘違いだったという。詳しく尋ねても、説明は要を得ないものだった。後から思い返すと、すでにこのころから記憶がすぽっと抜け落ちる記憶障害は始まっていたのだと思う。認知症の中核症状は、記憶障害、見当識障害、実行機能障害の三つと言われる。
やがて、曜日によって変わる職場へたどり着けなくなることが出始める。初めは地下鉄の駅からの地図に目印を書き込み、経路を教えるが、それもしばらくすると効果がなくなった。これは何かあると日赤で脳のCTをとると、アルツハイマー型認知症と診断された。そして、医師の勧めもあり、デイ・サービスの利用を始めた。今までできていたことができなくなるのは、実行機能に障害が出始めたことだったのだろう。
そのころ新築に伴い仮住まいすることになったが、母は新しい環境になじむことができず、さらに、物盗られ妄想も出来し、感情的になり怒りが爆発することが急増した。さらに、いたるところにお金を始め、“宝物”を隠し始める。財布を落としたと言い、交番に届けると、化粧台の下に隠してあったのが見つかった。認知症の本に書いてあったことがそのまま目の前に展開する。しかし、波があって至極“正常”な時も、しばしばあった。「ボーっとしている」「分かんない!」と言い、「どうなっているの?」と。自分でもコントロールできず、それが怒りとなって家を飛び出し、深夜に警察のお世話になってのご帰宅もあった。そんな母をおいて、出かけなければならない時、デイ・サービスの泊りを嫌がる母。どう説明しても納得できない。正常な判断のできない見当識障害は明らかだった。そして、母の症状が進むにつれて次第に対応が難しくなり、疲れと不安が増してきた。
認知症の進む母を面倒見ることと、現在の心理士としての仕事を両立することは、次第に困難なように思われてきた。それなら、仕事を辞めて母の在宅介護をするか、しかし、やりたくてここまで苦労してきた臨床の道をあきらめたくないという気持ちもある。どうしようと先輩に、知人に相談して歩く日々だったが、どうにもふっきれない。施設に入れるのは、自分のやりたいことの犠牲に母をしてしまうのか。悪いという気持ちと口惜しい気持ちがいつまでもまとわりついてくる。
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