母を想う(2)
母の介護をすべきか臨床の道を選ぶか……を決められず、悶々としていた折、心理士として受けていた教育分析(訓練のようなもの)の中で、ある夢を報告していた。
―雑踏の中、私は大きなバケツに入った鯉を、人波をすり抜けて運んでいる。当然、行き交う人とすれ違う時、ぶつかったり、段差で上下したりして、たっぷり入れたはずの水は、少しずつバチャバチャとこぼれ、水が少なくなり、中の鯉も息苦しそうだった。手に食い込むバケツも重くて、辛くなってくる。それでも、いっそう多くの人の行き交う橋のところまでやって来た。ふと、下を見ると、大きな川にゆったりと泳いでいる黒や赤、白の鯉の姿が目に入った。のんびりと泳ぐ鯉の様子に、ふと手にしたバケツの鯉もあのようにゆったりと泳げたらという気持ちになる。不意に橋の上からバケツの水とともに鯉を川に投げ入れた。落ちた鯉は大丈夫かと思っていると、すぐにゆったりと泳ぎ始めた。―
目が覚めて、鯉は母であったのだろうと思うと不思議に納得する気持ちになった。その後、たくさんの申し訳なさもあったが、母の施設入所を進めることになった。夢が私の心を自然に決めさせていった。夢は、その時々の生命のあるべき姿の一端を示してくれるようだ。
認知症の母の施設入所以来、毎週、洗濯物を届ける一方、一泊二日で、土日に外泊で自宅に連れ帰ることを3か月続けた。母の帰宅願望の強かったこともあったが、私の施設に入れたことへの申し訳なさがそれをさせた。 土曜日、施設へ迎えに行くと、待っていたかのように家へ帰ろうとする母。やっとここから“脱出”できるかのような様子で、職員に「さようなら!」と言い、施設を後にする。車が家に近づくと、やっと帰れたとホッとした表情を見せる。そして、一晩泊り朝食を一緒にとり、散歩に連れ出た後は、いよいよ施設へ帰ることになる。帰宅するときは喜んでいても、翌日は私を困らせたくないと遠慮していたのか、悲しい顔をしながらも施設へ戻っていく。そんなことを繰り返すうち、ある時、「ここに、私の帰るところはないんだ。」としみじみ話した。施設の職員から、毎週連れ帰るときの母の様子について尋ねられた。どうにもならないやるせなさが残ったが、同時に以前の川の中をゆったりと泳ぐ鯉の夢を思い出した。すると、私のしていることは、その川の中から鯉をバケツに入れ、持ち帰ることをしていたのだとふと思った。いずれ川へ返さなければいけない鯉を自分も無理して川から引き上げていたのだと。それ以後は、私のほうから川へ出向き、鯉に会いに行くことにした。月2回、母を施設に尋ねると、ニコッと笑顔で迎えてくれる母。1Fの広場で1時間、一緒に缶コーヒーを飲みながら、あれこれと話をしながら楽しいひと時を過ごす。
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