抱えるとは

 先日、世界最小268gで誕生した赤ちゃんが無事、退院する明るいニュースが報じられました。お母さんが必死の思いで胎内に抱えてきた思いが語られ、心温まる思いでした。母は、まだ見ぬ我が子を10か月胎内に抱えます。超音波で顔形、性別まで分かる時代ですが、どんな泣き声かミルクはしっかり飲むかなどその実像は分かりません。その未だ対面できない我が子を慈しみの眼差しで“抱える”。   

 誕生すると、授乳に、夜泣きに、あやすためにと母は、わが子を抱えます。一方、乳児も生きていくために母に全面的に頼らなければなりません。それは、母に抱えられて世話をしてもらうこと。多くの母が言葉にならない我が子の要求に次々と応えながら、無我夢中で関わります。時に細々とした世話に疲れを感じても、あどけない姿、微笑みにあうと疲れが吹っ飛び、嬉しくなります。そして、日々の成長に驚き、心配し目を細めながら見守っていく。これは、目に見える我が子を“抱える“ことで、確かな実感を持つことができます。

  しかし、これで、“抱える”ことは終わったのでしょうか。我が子に思春期が到来するころ、親は自分自身が通り過ぎた自立のための試練である不安やいらだち、甘えを思い出せません。そんな親たちが、実感をもって我が子の心情を理解することは難しい。人間、目に見えぬ、分からぬものを抱えることは落ち着かないものです。我が子はどうなるだろうと不安になり、投げ出したくなるときも出てきます。

  不登校になった子の多くの親が、子どもの気持ちが分からないと嘆いたり甘えだと突き放したりして心の安定を図ろうとするのは、そんなことかもしれません。しかし、不登校の子どもの頼りは、親だけです。中でも、母に精神的に抱えられることを心底望んでいます。だから、母にしがみつこうとします。この背景に父の影の薄いことが指摘されていますが…。

  病気やけがなどの身体的なものを抱えるのも大変ですが、目に見えない精神的なものを抱えていくのは、さらに辛いことです。この抱えられない苦しみ、悲しみという心の真実をカウンセラーと共有すると、母は安心、安定を取り戻します。そして、わが子と向き合い、わが心に“抱える”一歩を踏み出すことができるのです。 



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