私の子ども時代
親は我が子の成長を行動や言葉で判断し、どんなことを感じ、体験しているかには関心が薄いものです。そんな子どもの内面を想像するには、自分の中に生き生きとした子どもの心が必要です。それを取り戻すため、子ども時代の思い出を話してみましょう。例えば、私の子ども時代は、……。
私の育った東京品川区と目黒区の境目は、近くに広大な農・林業の試験場があり、たくさんの樹木と試験栽培を目的とした畑が広がっていました。そこは絶対の立ち入り禁止区域。三つある門は、いかつい守衛さんが詰め,決まった時間にパトロールしていました。この守衛さんが,塀のすき間から侵入した僕たちを見つけると「まてー!」と追いかけてきます。大きな大人に追いかけられ、恐くて必死に逃げました。何とか逃げ帰ると,仲間と恐かったことを,ちょっと得意げに話し合いました。試験場はカブトムシ,クワガタがいて,椎の実まであり、魅力いっぱい。僕は小学校4年生でした。
また、友達と試験場に侵入。先生も親も知りません。その日は,中心部まで入り込み、見つかるとやばいなと思っていますとそんな感が的中し、守衛のおじさんと出っくわしてしまいました。一目散に逃げましたが,その日に限って塀には向かわず,途中の防空壕跡に逃げ込んでしまいました。中は以前探険ずみで,かび臭いのを我慢すれば怖くはありません。守衛さんは,「早く出てこい!」と外から大声で怒鳴っていましたが,こちらも多人数で心強く,黙って我慢しました。すると,あきらめたのか守衛さんは,立ち去って行きました。そっと出た僕たちは,塀へ向かって突っ走しりました。
ワクワク,ガクガクの体験でした。そして、そこになにか以前とは違った感覚,感じが生まれてきました。不思議なことですが、その日のことは,誰も話しませんでした。
高学年になると、子どもは親にも話さない秘密を持つようになります。しかし、その秘密を持ち続けるほどの自我は強くありません。そこで、限られた数人の仲間と秘密を共有します。そして、そこに一体感が生まれ、さらに、徒党を組んで悪さをします。その体験を通して、善悪などの多くを学びます。このころの私は、そんな年ごろでした。
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